私の病気

4月20日から闘病生活が始まり、お蔭様で2カ月半が過ぎ、9日間の一時退院に入っています。世の中には、多くの闘病生活をされている方、またそれを支える職場の方、友人、ご家族、周りの人々がいらっしゃいます。私の周りの方々へのご報告と共に、闘病中の方や、周りの方へ何かお役に立てることもあればと思い、忘れん坊の私は、今の記憶の範囲で、現在進行形で動いていることを記しておこうと思います。あくまでも、これは私の身に起きていることで、一人一人の症状も異なります。また、医学的にも誤って理解していることもあるかと思うので、「現在の私の把握状況」と捉えてくださると、幸いです。
※以下、長文。ご興味のある方はお付き合いください。

私の病は『急性前骨髄球性白血病(APL)』
『急性骨髄性白血病』とは少し異なり、急性骨髄性白血病よりもAPL患者数は少ないです。
有名な方ですと、市川團十郎さん、アンディ・フグさんが私と同じ病のようです。市川團十郎さんは、おそらく再発される前頃に、お目にかかりました。銀座シャネルのネクサス・ホールにて、トリオで演奏した時に、最前列で奥様と並んで聴いてくださっていた御姿を、非常に印象深く、その情景を鮮明に記憶しています。まさか、自分が同じ病になろうとは、思ってもいませんでした。

そう、誰もがまさか自分が白血病になるとは、思っていません。前兆は貧血や身体に痣ができることでした。元々、身体によく痣を作る私でしたが、ぶつけた記憶のないところに、痣が何か所も出ていました。ダルさを感じていましたが、コロナで家に引き籠って、本番もなく、アルバムの音源確認の日々を送っていたため、運動不足とストレスだと勝手に思い込んでいました。先ず、最初に帯状疱疹が出来たため、皮膚科へ行きました。一週間して貧血で倒れ、紹介状をもらったその足で、東京慈恵会医科大学附属柏病院の腫瘍・血液内科へ行き、緊急入院となりました。

APLは初期治療が非常に重要で、出血が命取りになるようです。着替えもないまま、ジーパンを履いたまま骨髄をとり、輸血が始まり、翌日から抗がん剤投与開始。サインをするや否や意味も理解もできず、「されるがまま」という状況でした。今思えば、それくらい、危険が迫っていたことが、よくわかります。私の場合、最初の1カ月半の治療は「寛解導入療法」といって、APL患者にとって非常に大きな成果を上げている、化学療法の「ベサノイド」という薬を一日7粒と、2種類の抗がん剤を投与しました。2種類の抗がん剤は同時進行で投与されることが一般的ですが、私の場合は出血が多くカテーテルを入れることができなかったため、1種類ずつの抗がん剤投与となりました。出血が落ち着いてきた段階で腕からのカテーテルを入れて、治療は続きます。通常の場合は中心静脈カテーテルといって、血管の太い首から入れられます。私の場合は、寛解導入療法をクリアした段階で、首から入れることができました。

今、振り返ると、最初の1カ月は主治医の先生も、看護師さんも緊張感のある治療の日々だったかと思います。緊急入院の段階から仕事の手配を進めなくてはならず、身に起きている非常事態と、メッセージで連絡することの妙なギャップが異常に感じました。家族への連絡は後回しで、というよりも、説明がつかなくて、何を家族に言えばいいのか、わからなかったというのが正直なところです。主人と姉に丸投げしたという感じでした。発熱は私の場合、一日中出ることはなく、夕方から夜中に向かって出ることが多かったです。39度を超えるの熱は体力消耗をし、体重は落ちていきました。副作用の吐き気、脱毛初期、高熱ゾーンが過ぎると、血球が上がってくるのをひたすら待ち、同時に食欲が出てきました。

この頃には座ることができるようになってきたのと、初めて正気な状態に近づいたかと思います。「ピアノを弾きたい」という意志を主治医の先生に懇願し始めた頃です。
主治医の先生は、私の精神状態に寄り添ってくださり、無理な要求も真摯に捉えてくださいました。そこから、私も色々と「鍵盤」という直接的な要求ではなく、「弾くために何を使うのか?」ということに視点を置いて、今までの経験を元に試行錯誤し始めました。それと同時に「リハビリ・トレーニング」を開始。歩行すらしていなかった身体全体を動かす筋力の回復、体幹作り。手のパフォーマンスを上げるための作業療法と二人の先生との三人四脚?!が始まりました。実際、今回の一時退院では、その成果を肌で感じることができました。先生方には感謝すると同時に、再入院でも更に続けていきたい治療です。

約1カ月半に及ぶ寛解導入療法は無事にクリアし、次の段階の「地固め療法」3コースに入ります。二種類の抗がん剤を同時に入れます。24時間5日間の投与と、短時間のブルーハワイ色の抗がん剤を「これが、カクテルだったらなぁ・・・強烈な色だなぁ・・・」と思いながら、横たわっていました。寛解導入療法の大変さに比べると、地固め療法の1コース目は39度までの高熱が1日くらいで治まり、少しの吐き気と貧血で落ち着きました。血球も頑張ってくれて、無事に一時退院へ辿り着いたというわけです。

一時退院ではコロナのこともあり、家族には心配の材料を増やしてしまいます。菌に弱い私をガードするための準備に姉家族や主人に要求することが増えてしました。同じ病室の患者同士でも、退院時のコロナに対する不安は皆、抱えていました。きっと、医療従事者の方々は日々、気を付けて生活するストレスが多くあるだろうと思います。
コロナさえなければ・・・と思うことは沢山あります。面会謝絶というのは、長期入院患者にとっても、家族にとっても精神的に不安を抱えます。面会が短時間でもできれば、電話やチャット、ビデオチャットではわからないことを感じられるからです。退院時にも皆で仲良く食卓を囲みながら過ごすゆったりした時間は我慢です。勿論、地固め療法の残り2コースの治療をしっかりできるようにするためです。この一時退院は私にとって、体力作り、リフレッシュ、自分の本退院後のことを考えるためにも良い時間でした。周りに助けてもらわないと、できないことばかりです。今の自分にできることは、治療に専念すること。残りの2コース、約2カ月を乗り切って「寛解」を目指します。その先も、この病は「完治」に到達することは随分先になるようなので、病と一緒にしばらくは生きることになります。再発や移植などもあるかもしれませんが、それがないといいな・・・と思っています。最初は我武者羅だったとしたら、ここから2カ月は地に足をつけて、地道に治療をすること。時間の流れ方が長く感じるかもしれません。9月中には退院できることを目指して、来週から頑張ります。

長文を読んでくださった方、ありがとうございました。

追伸:ピアノを弾けることが嬉しすぎて、調子に乗って3時間近く弾いた日の翌日は体調不良でした。ほどほどに、焦らず亀のペースを忘れないように進めていきたいと思います。笑。

2020.7.11

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