マンハイムの青い空

モーツァルトの生涯第7回:マンハイムの青い空

「ああ!僕らもクラリネットを持てたらなあ!シンフォニーが、フルートとオーボエとクラリネットを伴ったらどんなに素晴らしい効果を上げるか、ご想像になれないでしょう」

(1778年12月3日付、父レオポルト宛の書簡)

さて、前回のモーツァルトの生涯第6回:暗号で書いた通り、モーツァルト母子は1777年9月、ミュンヘンへと旅立ちます。自分を縛り付ける田舎街、ザルツブルグからとにかく旅立ちたい。色々とゴタゴタがあって、パパまで解任されそうになったけれど、これでようやく自由になれる…。モーツァルト21歳、青年の夢はとどまるところを知りません。胸おどる希望と期待、やあ雲雀さんこんにちは。僕の未来には、きっと楽しいことだけが待っている。

浮かれて旅に出る息子に対して、世慣れた父レオポルトは実に心配でした。世間をよく知っているだけに不安だらけのレオポルト。世慣れているだけに図々しく自分本位で、大司教だって子供っぽく怒ることまでは想像出来なかったレオポルト。今回、旅についていけないことが何よりも不安です。妻に万事を託したものの、どうも今ひとつ不安である。父は頻繁に手紙を出し、21歳の息子に対してああしろこうしろ、と事細かに指示を出します。

今回の旅行の目的はこれまで以上にはっきりしていました。「宮廷楽長など、良い条件の定職を探すこと。もし出来ない場合は、大都市で演奏してお金を稼いでくること」レオポルトが示した方針です。母と子は忠実に、その言いつけを全うするつもりでした。まずは2年前にオペラ上演を成功させたミュンヘンに向かい、音楽界の要人たちと面談します。目的はミュンヘンの統治者であるバイエルン選帝侯に顔をつないでもらい、あわよくば宮廷楽長の地位を得ること。なかなか紹介状を書いてもらえず、やっとの事で選帝侯に謁見が叶いましたが、雇用はしてもらえませんでした。モーツァルトが宮廷楽長になるにはまだ若かったことに加え、ザルツブルグの大司教ともめているという噂が届いていたからでもあります。誰だって厄介者はそばにおいておきたくないですよ、そりゃ。

とまあこんな風に、ミュンヘンでは得るものがなかったモーツァルト、ちょっと気分を変えて親戚の家を訪ねます。ミュンヘンからやや西の街、父レオポルトの出身地アウクスブルクです。ここにはレオポルトの弟一家が住んでおり、モーツァルトは楽しく過ごしたようです。中でも意気投合したのは2歳年下の従姉妹マリア・アンナ・テークラでした。この従姉妹をモーツァルトは「ベーズレ」という愛称で呼び、アウクスブルグを立った後も文通を続けます。よくモーツァルトのエピソードで出てくる、ちょっとお下劣な手紙の数々(6通のベーズレ書簡)はこの従姉妹とのやりとりなんですね。ちなみにベーズレさん、モーツァルトと肉体関係を持ったらしいことが手紙の中にも出てくるのですが、どうもなんというか身持ちがあんまり良くなかったらしく、後に私生児を産んだり、と結構波乱万丈な生き様です。

1777/78マンハイムにて母親としばらく身を寄せた

さて、モーツァルト母子はアウクスブルグを出て、今度はマンハイムに向かいます。当時この街は選帝侯カール・テオドールの元、フランスの影響を受けた宮廷文化が花開いていました。文化を愛した選帝侯の元、ヨーロッパno.1と謳われた宮廷楽団が活動しており(当時としては破格の70人体制であったそうです)まさしく作曲家にとっては「楽園」であったと言われています。ザルツブルグでは軍楽隊でしかお目にかかれなかったクラリネットの奏者も3人おり、モーツァルトにとってはカルチャーショックでした。冒頭にあげた父への手紙が、その驚嘆ぶりを伝えています(1年後にモーツァルトはパリで交響曲第31番を書くのですが、その曲で初めてクラリネットが登場するのは、明らかにこのマンハイム文化を経由したからだと言われています)。後々「あの気取ったマンハイム様式」などと悪口を手紙に残したりすることはあったのですが、かなりの影響を受けたのは確かで、モーツァルトの作品はこの辺りから様式が変化していきます。

もちろんモーツァルトはただ遊びに来たわけではなく、就職活動をしに来たわけなのですが、ここでもミュンヘンと同じく、あまり相手にはされませんでした。仕方なくモーツァルトは演奏活動をして自分の能力を認めてもらおうと考えますが、演奏会をするのにも現地の偉い人から許可が要る。ところがいつまで経ってもなかなか許可がおりません。待つだけの日々が続きましたが、それを聞きつけてヤキモキしたのは父レオポルトです。うちの息子は何をやってるんだ、真面目に就活もせず遊んでいるのか。何度も叱責の手紙が届き、モーツァルトはその度に言い訳をし続ける羽目に陥りました。

しかし、マンハイムでも重要な出会いはありました。自作の写譜を依頼した写譜屋フリードリン・ウェーバーの一家と親しくなったのです。その次女アイロジーアは非常に優秀なソプラノ歌手でもあり、モーツァルトはすっかり恋に落ちてしまいます。

さて、皆さん。誰か忘れてませんか。ずっとモーツァルトにくっついているはずなのに、ほとんど影のごとくに存在を消している、あの方を。

そう、ママです。ウォルフガングのママ。息子はマンハイムで激烈な恋に落ち、若者特有の万能感で「就職なんてどうにかなるさ」と呑気に構えている。パパの指令を胸に付き添ってきたママの心中や、如何に。この旅行の果て、やがてパリで亡くなる運命にあるママですが、次回は彼女に照準を当ててお話ししましょう。

文:植田彰

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