復活へのリハビリ④音楽をする

2クール目の維持療法の薬服用によって、副作用が続き、なかなかブログの更新ならず。ようやく、落ち着き元気になりました。2週間の薬服用期間は、思うように動けないことがわかってきました。病と上手に付き合いながら、社会復帰、生活をしていきます。

さあ、続きです。私の目的である、「音楽をすること」「演奏をすること」へ。

長期に及んで、楽器から離れたのは三歳からピアノを始めてから、初めてのことでした。楽器から離れることが、とても怖かったのです。「もう二度と人前で弾けなくなのではないか。」と。

でも、そんなことは関係ありませんでした。私は人生最大の音楽への枯渇を持つことによって、気持ちは強くなりました。音楽をもう一度するために、大好きな人達に会うために生きるという意志になりました。

ドイツの恩師にも直ぐに相談しました。「レパートリーにはない新しい作品を読んでみてはどうか?」という提案でした。丁度、入院して最初に、J.S.バッハのゴールドベルク変奏曲がグルグルと頭の中を流れ始めました。直ぐに楽譜を差し入れしてもらい、読譜が始まりました。どこまで、弾かずに音楽にできるかの挑戦が始まりました。

人の持つ能力、『想像力・創造力』の偉大さを痛感しました。

勿論、想像力を使う時には、知識や経験は大きな助けになります。これは、今までもしてきたことでしたが、楽器がないことにより、より虫眼鏡で見ているように楽譜を読み込み、マクロとミクロの世界を見ていきます。頭で音を鳴らし、どのような音を求めるか、フレーズをどのように処理するのか、アーティキュレーション、ペダリングの可能性、音と音の関係、音色、バランス、体の使い方、指使い・・・キリがないくらい沢山のことが出てきます。様々な作品、今まで弾いたことがある作品も含めて、PCの中にある楽譜や数冊の持ち込み楽譜を見ていました。頭の中で曲を流していると、気になる箇所が幾つも出てくることがあり、楽譜を見ては考えて・・・、楽譜を開く体力がない時は、自分がわかるメモ書きを携帯に残して、後で確認することをしました。モーツァルトのピアノ協奏曲のカデンツァを作曲したりもしていました。熱でうなされる中、頭の中で作った構想は後で見ると笑えるほどヘンテコなカデンツァになって、笑って却下したりもしました。それらのことをやるうちに、わかったことは、生徒を教えることによって多くを学ばせてもらっていたなと思いました。体格も性格も年齢もレベルも異なる人々と、一緒に音楽に触れることにより、観察し、考えて、その人の意志を理解し、その人の音楽を深めることを一緒にしてきました。私が私に新しい体や考えを持って、もう一度作り直す思考への助けになったのです。ソロの作品を見ていると、改めて室内楽やオーケストラの世界を見ることが多くあったり、自分は室内楽がとても好きだなと強く思いました。ソロも室内楽も沢山弾きたい。人に届けたい。

退院をして楽器を弾いてみて、頭の中で作った音楽が予想以上にうまくいったこと、想像と違ったこと、様々なことが起きました。退院する度に実験をして、改善もできました。楽器によって、その効果も大きく異なることも知りました。自分が思っていた以上に、楽器によっての違いがクリアに見えました。ある意味、耳が馬鹿になっていたように思います。クリーンルームでの治療によって、耳もクリーン化されたかもしれません。笑。ずっと毎日触れていたことによって、馴れ合いによって、鈍ってしまっていた感覚もあります。離れたことによって、沢山のことに気付かせてもらえました。

以前に、リヒテルが移動の列車の中で楽譜を読んで、ホールに到着したら暗譜で弾いたという話を聞きましたが、「そんなことは、凡人には無理無理!」と思っていましたが、私はそのような短時間ではできませんが、あながち無理ではないのではないかと思いました。それほど、想像力を使うこと、楽譜を読んでいくことによって、最終的に肉体を伴って演奏をすることになるわけです。楽譜というのは不思議なもので、読めば読むほど、見えてくることが湧いてきます。ある日、突然、見えてくることもよくあります。今まで、私は一体、何を見ていたんだろう??と思うこともあるのです。生徒とレッスンをしていても、「気になること」がむしろ、見えていなかったことが明らかになったり、新しい発見に繋がったりします。自分の眼鏡だけでみないと言えばいいのだろうか。それらは、アンサンブルをしたときにも発見します。自分にない目で見ること。自分の心の世界は思っている以上に、とても広くもあるし、驚くほど、とても狭くもある。

自分がやりたいこと、出したい音、音楽をできるだけ具体的に細かく想像し、それを肉体を使って表現する。自分がどれほど考え、感じ、具現化するか。

わかっていたことだったけど、自分の中で楽器が傍にあることによって、一番必要なことが疎かになっていたように思うのです。もっと、もっとできることがあることを知ったのでした。

そこに、自分の表現がある。

考えて→音にして→聴くこと

そして、基本というのは、大切であること。

今までもわかっていたけど、まだまだ足りませんでした。でも、それがあれば、表現できると思うのです。

私はまだまだ、音楽をしたいです。人々と音楽を共有したいです。自分の病とコロナで人前での演奏がまだ進んでいませんが、その時が来るように今、前進中です。

人間には驚くほどの能力があるのだと感じています。自身が思っている以上に。

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