作曲家・植田彰の 第1回いけずレクイエム

夏の夕方、家でぼおっとしていたらインターホンが鳴った。どうせセールスか宗教の勧誘だろう、と思って居留守を決め込んだが、何やらドアポストにゴソゴソと何かを投函する音がする。ちょっと気になってポストを確認してみたら…墓地の広告だった。

19世紀のヨーロッパで来客はどの様にして来訪を告げたのだろう。やっぱりどの家の玄関にもいわゆる「ドアノッカー」(ライオンが輪っかを咥えてるみたいな、あれ)が付いていたのだろうか。僕はいつも不思議なのだが、欧米の映画のシーンでは客が来訪を告げる時、やたらとドアを乱暴にドンドンと叩く。あれじゃ家の人だってうるさくて気分が悪かろうと思うのだが、やっぱりそれが風習なのだろうか。家が大きいから強く叩かないと気が付かないのかもしれない。僕は訪問者に居留守を使ったわけだが、モーツァルトは1791年の8月末、ドアのノックに反応してちゃんと扉を開き、そして「灰色の服を着て背の高い痩せ細った男」からの依頼を受け、最後の作品「レクイエム」の製作に取りかかった。

モーツァルトは史上最も伝記を書かれた人物、らしい。ある本に、なんの根拠も示さずにそう書かれており、僕は自分の思い込みに都合が良い様にそれを信じているのだが、他の本にはベートーヴェンと書かれているかもしれない。少なくともかなりの数の伝記が書かれたことは間違いではないだろう。それは彼の生涯が色々と謎めいているからで、例えば結構な収入があったはずなのになぜ最後は借金まみれであったのか、フリーメイソンの会員であったことが作品にどう影響を与えているのか、結局のところ死因はなんだったのか、次から次へと新説が現れては消える。まるで本能寺の変の真相を追求するみたいな、一種の歴史ミステリーの様相を呈している。

そんなふうに「モーツァルトの生涯に関する研究」がいまだ華やいでいるのは何故か。言うまでもなく彼の曲に人気があり、魅力ある存在であり「人類史に残る天才作曲家だったから」なのだが、ここはもう一歩踏み込んで、こう答えるべきだと僕は思っている―”彼が、一番いい時に死んだから”。

ここでいう「一番いい時」というのは社会的成功のことではない。作曲家としての能力、のことである。

モーツァルトは幼い時「神童」であった。父レオポルトに連れられてヨーロッパ中を旅行し、神童としての名前を売った。そのことでレオポルトは子供をダシにして稼ぐ悪辣なオヤジのイメージが流布しているが、世界各国、なかんずく流行の最先端であったイタリアの音楽を実体験させるという、当時としては最も良い教育方法であったろう(世界を旅したおかげでモーツァルトは5か国語も使い分けられるようになったし、国際人としての素養を身につけることが出来た)。ただ、彼の神童としての名声は、主に鍵盤奏者としての能力を指すものであって、子供の頃に書いた作品が大ヒットする、という類の「作曲家」としての認知ではなかった。もちろん少年時代に書かれた作品だってすごいことはすごいのだが、それは「へえ、子供なのにこんな曲書けてすごいね」という類のものであり、初期の全作品を残らず傑作と呼べるわけではない。

それに対して、20歳を超えたあたりからの彼の創作能力は、一言で言ってエグい。晩年に向かって、そのクオリティはどんどんと高まっていく。最後の交響曲とされている「41番(ジュピター)」の最終楽章なんて、楽譜を読んでいるだけで鳥肌が立ってくる。単に音が綺麗だとかそういうことではなく、次々と出てきたモティーフが最後の3ページで一斉に重なり合って、それがまるで破たんをきたしていない。ここまでくるとバケモノじみている。

大人になったモーツァルトのどういうところが天才なのか。メロディの華麗さ、ハーモニーの美しさ、挙げればキリがないだろうが、無視してはならないのはそれらの諸要素を極めて自然な形でまとめ上げる「整理整頓」の巧みさにある。

ここで冒頭に触れた「レクイエム」に話を戻そう。組曲形式になっており編成は木管、金管とティンパ二、弦楽器(つまりオーケストラ)に合唱。この曲の完成半ばでモーツァルトは亡くなっており、彼がひとりで全てを作り上げたのは1曲目「イントロイトゥス」のみとされている。亡くなる直前の作品だから体力的にも弱っていたはずで、曲のレベルもアレなんでは…と思ってしまいそうだがそれは大間違い。よくここまで考えることが出来たな、という、まさしく神がかった完成度の作品なのである。

最初に弦楽器が伴奏を始める。ブンチャ、ブンチャという、一見ありがちな伴奏。しかしここに通称「レクイエム主題」と呼ばれるメロディを用いて書かれた、対位法的な合唱パートが始まる。

ちょっと整理して話そう。対位法とは「各声部が均等に扱われる書法」であって、例えば4人が歌っていたら彼らの役割は基本的に平等、誰が主役で誰が脇役、なんて区分けが無い状態(一般的にポリフォニーと呼ばれる)。この書法はルネッサンスと呼ばれる時代に最も盛んだったが、なんといっても一番の対位法の達人はそれより後の「バロック時代」に現れた巨匠・バッハである。

それに対してモーツァルトが活躍した、いわゆる「古典派時代」は、メロディという主役に伴奏という脇役が寄り添うスタイル(ホモフォニーと呼ばれる)が一般的になった時代であった。つまり歴史の流れの中で、音楽のスタイルはかなりの変貌を遂げたわけである。

そこで改めてレクイエムについて考えてみよう。先程説明した曲の形状を極めて簡単に言ってしまうと「バッハの曲にモーツァルトがブンチャ、ブンチャと伴奏を付けているような状態」なのである。これは一見楽しそうで、実は非常に高度な作曲上のテクニックを要求される。

しかし、曲は決してこれだけでは終わらない。やがて今度は弦楽器をはじめとするオーケストラパートが対位法的な動き(フーガ)を始めると、そこに今度は単旋律のメロディ(先程のレクイエム主題を反転させて出来ている)が乗っかる。つまり、今度は伴奏が対位法になるのである。さらに、それが一通り終わると、今度はレクイエム主題と前述のフーガのテーマが絡み合いながら進む2重フーガが形成されて、それを古典派的な伴奏が支える、というものすごい世界が到来する。

ややこしい言い方を敢えてすれば「古典派的ホモフォニーとルネッサンス&バロック的ポリフォニーの融合」であり、歴史の流れから見ても非常に興味深い。まるで作曲家自らが音楽史の転換点に立っているのを俯瞰しているような感慨すら覚える。死ぬ間際に、どうしてこんな曲が書けるのだろう。余命いくばくもない彼に、誰がこの曲を書かせる役割を担わせたのだろう。そんなことを言い出したらそれはもう宗教になってしまう。しかし、もしモーツァルトが長生きして、徐々に創作力も衰え、晩年には全盛期のきらめきなど見る影も無い、というようなタイプの作曲家だとしたら(そういう人はたくさんいる)、ここまで人気を勝ち得たかどうか。ピークで死ぬ、というのが、歴史に名を残す条件なのである。

ところで…長々と書きましたが(話の流れを変えたいんで、ここから敬語です)、僕が今回言いたいのは、ある伯爵についてなんです。フランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵。この人、モーツァルトにレクイエムを発注した、いわば依頼主。最初に述べた「灰色の服を着て背の高い痩せ細った男」はこの伯爵の使いですね。この伯爵、田舎の領主なんですがちょっとアレなところがありまして、プロに作品を依頼しては後々「自分が書いた」という事にして発表する、という少々変わった趣味をお持ちの方で(そういう人、いましたね、数年前にも)、このレクイエムも伯爵の妻の葬儀の為に委嘱され、真の作曲者の名は伏せて初演する予定だったようです。

モーツァルトはそのことを知っていたか知らなかったか、というのがいまだに議論の的になるわけですが、一般的には「知らなかった」説が有力であるらしい。しかし、僕は知ってたんじゃないかと思うんですね。偉大なるモーツァルトの生涯を見ていくと、どうも根本的な性格に難があるというか、いろいろトラブルを起こしやすい人であったことがわかっています。特によくないところは、どうも人を馬鹿にするところがあるんですよ。あちこちの貴族を怒らせたり、クレメンティなんて作曲家は散々悪口言われた挙句、オペラ「魔笛」の序曲ではピアノソナタのモティーフを露骨に転用されています。これはモーツァルトが盗作したとかではなく「おんなじモティーフでも俺の方が全然うまく出来るんだよ!!」みたいな宣言に近い意味がありまして(もちろん素晴らしい作品に仕上がってるわけですが)、どうにも根性が悪い。

モーツァルトの一番下の息子はフランツ・クサーヴァーという名前なんですが、弟子(という体にされた友人)でレクイエムの補完者として知られるジュースマイヤーの名前をそのまま取っています。つまり、奥さんコンスタンツェとジュースマイヤーの浮気を疑ってて、嫌味でわざと名前を付けたんですね。ホントはお前の子だろ、と(ちなみにこの息子は成人後、モーツァルト2世と名乗って音楽活動をし、肖像画も残っているのですが、モーツァルトと全く同じ耳の形(耳たぶが少々欠損していた)で、見事に特徴が遺伝しているそうな)。

ともかく、非常に根性の悪い「いけず」なモーツァルトなんですが…先程のレクイエム、こんな風に考えることも可能だと思うんです。ヴァルゼック伯爵がレクイエムを自身の名前で公表することを知っていた。そこで、田舎のアマチュア音楽家には到底書けない様な高度な技術を用いた作品を作り上げ、聴く人が聴けばモロに代作であることがばれる様に仕向けたのではないか…もちろん、根拠というか証拠はありません。ですが、そんなことを想像してみるのも楽しいじゃないですか。

とまあ、こんな風に、足跡をいかようにも解釈出来るのが偉大な人物の条件でもあります。多様性を受け止めることが出来るんですね。成し遂げた仕事に深みが無ければそんなことは出来ない。今回、長年の盟友、稲岡さんのHPの為に僕がいくつか音楽についての文章を書くことになりました。モーツァルトを軸に、名作のもつ多様性について迫ってみたいと思います。

自分の値打ちを下げてはいけない。

それが特に大切なポイントだ。

さもないと君は終わりだ。

もっとも生意気な人間に絶好のチャンスがある。

―W.A.モーツァルト